ニュースで「エルサレム」という地名を耳にするたび、「あれはどこの国の都市なのだろう?」と感じた経験はないでしょうか。イスラエルが「わが国の首都だ」と主張する一方、パレスチナも同じ場所を「自分たちの首都」と訴え、さらに国際社会の多くはどちらの主張も正式に認めていないという、非常に複雑な状況が続いています。本記事では、エルサレムが現在どのような政治的立場に置かれているのかを整理し、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3つの宗教がなぜ同じ場所を聖地とするのかも含めて、わかりやすく解説します。
エルサレムはどこの国にも「完全には属していない」
「エルサレムはどこの国ですか?」と聞かれたとき、一言で答えることが難しいのには理由があります。法的・政治的な現実が、複数の主張のあいだで宙吊り状態になっているからです。
イスラエルが「首都」と主張する理由
イスラエルは1948年の建国以来、エルサレムを自国の一部として実効支配してきました。1980年には議会(クネセト)が「エルサレムは統一されたイスラエルの首都である」と宣言する法律を制定し、現在も首相府・議会・最高裁判所といった国家機関がエルサレムに置かれています。
2017年にはアメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都として公式に認定し、翌2018年にはアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムへ移転しました。グアテマラなど一部の国も追随しましたが、世界的には例外的な存在です。
イスラエルがエルサレムを首都と主張する根拠のひとつは歴史的なつながりです。紀元前1000年頃、ダビデ王がエルサレムを統一王国の首都と定め、ソロモン王が神殿を建設して以来、ユダヤ人にとってここは民族のよりどころとなってきました。
パレスチナの主張と国際社会の認識のギャップ
パレスチナ側は、エルサレムの東側(東エルサレム)を将来の独立パレスチナ国家の首都と位置づけています。東エルサレムはイスラエルが1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)で占領した地域であり、国際法上は占領地とみなされています。
国連安全保障理事会は過去に複数の決議を採択し、イスラエルによる東エルサレムの「併合」を国際法違反として認めていません。多くの国の大使館がエルサレムではなくテルアビブに置かれているのは、エルサレムの地位をめぐる国際的な合意がまだないことを示す実態的な証拠でもあります。
現在のエルサレムの法的・政治的地位
現在のエルサレムは、西エルサレムと東エルサレムに大別されます。西エルサレムはイスラエル建国時から実効支配されており、国際社会もその実態を「デファクト(事実上)の行政中心地」としてある程度認めています。一方、東エルサレムは1967年以降イスラエルが占領・実効支配していますが、国際法上は「占領地」とされ、その法的帰属は未解決のままです。
つまり、「エルサレムはどこの国か?」という問いに対する正確な答えは、完全には認められていない状況——「イスラエルが実効支配しているが、国際社会の大多数はイスラエルの主権を完全には認めていない都市」というものになります。
なぜ3つの宗教が同じ場所を聖地とするのか
「なぜ世界の3つの主要宗教が、よりによって同じ小さな丘の上の都市を聖地とするのか」という疑問は、この問題を理解するうえで欠かせない視点です。
ユダヤ教とエルサレム神殿の深いつながり
ユダヤ教にとってのエルサレムは、民族の歴史と信仰の根幹です。紀元前10世紀頃、ソロモン王が建設した「第一神殿」は、神がモーセに授けたとされる十戒の石版(契約の箱)を安置した場所でした。この神殿は後にバビロニアによって破壊され、紀元前5世紀頃に「第二神殿」として再建されます。
第二神殿はその後、紀元70年にローマ帝国によって破壊されました。現在もエルサレムの旧市街に残る嘆きの壁(西の壁)は、この第二神殿の外壁の一部と考えられており、世界中のユダヤ人が祈りを捧げる最も神聖な場所となっています。
ユダヤ教の祈りには「来年こそはエルサレムで」というフレーズが今もあります。約2,000年にわたる離散(ディアスポラ)の歴史のなかで、エルサレムへの帰還が民族的願望となってきたのです。
キリスト教にとっての意味——イエスが十字架にかけられた地
キリスト教においてエルサレムは、イエス・キリストの生涯の最後の舞台です。新約聖書によれば、イエスはエルサレムに入城し、最後の晩餐をおこない、ゲツセマネの園で逮捕されました。そしてゴルゴタの丘で十字架に架けられ、死後3日目に復活したと伝えられています。
その現場とされる場所に建てられたのが「聖墳墓教会(聖墓教会)」です。カトリック・ギリシャ正教会・アルメニア使徒教会など複数の宗派が共同管理するこの教会は、キリスト教徒にとって世界で最も重要な巡礼地のひとつです。
エルサレムへの巡礼は早くも4世紀から始まり、中世には十字軍がこの地を「異教徒の手から取り戻す」ために遠征するほど、西洋世界においてエルサレムは特別な意味を持っていました。
イスラム教の聖地としての位置づけ——預言者ムハンマドの昇天の地
イスラム教ではエルサレムは「アル=クドゥス(聖なる都)」と呼ばれ、メッカ・メディナに次ぐ第三の聖地です。その根拠となるのが「夜の旅(イスラー)と昇天(ミウラージュ)」の伝承です。
7世紀初頭、預言者ムハンマドがメッカから一夜のうちにエルサレムへ運ばれ、岩の上から天へ昇って神の啓示を受けた——そのように伝えられています。この「岩」を保護するために7世紀末に建てられたのが「岩のドーム」です。金色のドームと青いタイルで飾られたこの建造物は、エルサレムの象徴的な風景として世界的に知られています。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教はいずれもアブラハムの宗教と呼ばれ、同じ神を信仰するルーツを共有しています。だからこそ、それぞれの重要な出来事の舞台が同じエルサレムに集中し、3宗教すべての聖地となったのです。
「エルサレム」という名前の由来と数千年の歴史
「エルサレムはいつからこの名前で呼ばれているのか?」という素朴な疑問も、この都市の複雑な歴史をたどるうえで興味深い入口になります。
3,000年以上前にさかのぼる地名の起源
エルサレムという名称は、ヘブライ語で「イェルシャライム(Yerushalayim)」、アラビア語で「アル=クドゥス」あるいは「アウルシャリム」と表記されます。語源については諸説ありますが、ヘブライ語の「シャローム(平和)」と関係するとも、古代セム語で「シャレム神の基盤」を意味するとも言われています。
古代から繰り返された支配の交代
エルサレムの歴史は、支配者の交代の連続です。紀元前1000年頃のダビデ・ソロモン王国、その後のアッシリア・バビロニアによる攻略、アケメネス朝ペルシャ、アレクサンドロス大王のヘレニズム時代、ローマ帝国、ビザンティン帝国、アラブ・イスラム勢力、十字軍、アイユーブ朝、マムルーク朝、そして16世紀からのオスマン帝国——気が遠くなるほど多くの勢力がこの地を支配してきました。
それぞれの時代に「征服者の宗教」が持ち込まれ、神殿が建てられ、あるいは壊され、別の宗教の聖堂が建て替えられた。エルサレムの地層には、幾重もの文明の痕跡が積み重なっています。
オスマン帝国支配からイギリス委任統治へ
1517年からオスマン帝国の支配下に入ったエルサレムは、約400年にわたって比較的安定した時代を過ごしました。しかし第一次世界大戦(1914〜1918年)でオスマン帝国がドイツ側についたため、イギリス軍が1917年にエルサレムを占領します。戦後、エルサレムを含むパレスチナ地域の統治権は国際連盟の委任統治としてイギリスに与えられました。
このイギリス委任統治の時期(1920〜1948年)こそが、今日の混乱の直接的な種が蒔かれた時代です。
現在の複雑な状況の発端——イギリスの三枚舌外交
「なぜこれほど問題が複雑になったのか」という問いに対する答えのひとつが、第一次世界大戦中にイギリスが行った三枚舌外交です。
バルフォア宣言——ユダヤ人国家建設への約束
1917年、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアは、ユダヤ人指導者ロスチャイルド卿に宛てた書簡を発表しました。「英国政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設することを好意をもって見る」という内容のこのバルフォア宣言は、世界各地に離散していたユダヤ人(シオニスト運動)にとって大きな希望となりました。
戦費調達のためにユダヤ系資本家の支持を得たいという思惑、ユダヤ人のロシア革命支持勢力への懸念、パレスチナへの英国の影響力維持といった複数の動機があったとされています。
フサイン・マクマホン協定——アラブ人独立への約束
同時期、イギリスはアラブ人にも別の約束をしていました。1915〜1916年にかけて、イギリス駐エジプト高等弁務官マクマホンはメッカのシャリーフ(太守)フサインと書簡を交わし、オスマン帝国に対して反乱を起こすことと引き換えに、「アラブ人の独立国家建設を支持する」と約束しました。
フサインはこの約束を信じてオスマン帝国に反旗を翻し(アラブの反乱)、イギリスを勝利に導く一翼を担いました。しかしパレスチナがその「独立国家」の約束の対象に含まれるかどうかについて、両者の解釈は食い違っていました。
「三枚舌」が生んだ矛盾と今日の紛争の種
さらにイギリスはフランスとの間で、1916年にサイクス・ピコ協定を秘密裏に締結し、オスマン帝国領の中東地域を戦後に両国で分割統治することを決めていました。
つまりイギリスは同じ地域について、ユダヤ人に「民族的郷土をつくってよい」と言い、アラブ人に「独立国家をつくらせる」と約束し、フランスとは「自分たちで分割する」と決めていたわけです。三重の約束の矛盾が、後のイスラエル建国とアラブ・イスラエル紛争の原型を形づくりました。
第二次世界大戦後から現在に至るエルサレムの運命
第二次世界大戦後、状況はさらに大きく動きます。
国連の分割決議とイスラエル建国
ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で600万人以上のユダヤ人が犠牲となった後、1947年、国連はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割し、エルサレムは「国際管理下に置く」という決議(国連総会決議181号)を採択しました。
ユダヤ側はこれを受け入れましたが、アラブ側は拒否。1948年にイスラエルが独立を宣言すると同時に第一次中東戦争が勃発し、国連の想定した「国際管理」は実現しないまま、西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムはヨルダンが支配する形で停戦しました。
1967年の六日間戦争と東エルサレム占領
1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)でイスラエルはヨルダン・シリア・エジプトと戦い、わずか6日間で大勝利を収めました。この戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸を占領します。
同年、イスラエルは東エルサレムを西エルサレムと「統合」し、エルサレム全体を「永遠の分割できない首都」と位置づけました。しかし国際連合安全保障理事会は同年の決議242号で、占領地からの撤退を求め、この「統合」を認めませんでした。
国際社会はなぜイスラエルの首都宣言を認めないのか
多くの国がイスラエルのエルサレム首都宣言を認めない理由は、「先例を作ることへの懸念」にあります。武力による領土変更を既成事実として認めれば、他の地域でも同様の行為が繰り返されかねないという国際法上の原則論があります。
また、エルサレムの帰属問題はイスラエルとパレスチナの和平交渉における最重要課題のひとつであり、交渉妥結前に一方の主張を認めることは、交渉の枠組みを破壊すると見なされています。2017年のアメリカのエルサレム首都認定に対して国連総会が「無効」を求める決議を128対9で採択したのも、こうした国際的なコンセンサスを反映したものです。
エルサレムへの旅行は実際に可能か
エルサレムのことを調べていると、「実際に行けるのか?安全なのか?」という疑問も自然に湧いてきます。
外国人が訪問できる場所と入国の基本情報
エルサレムは現在も世界中から観光客・巡礼者が訪れる都市です。日本国籍のパスポートを持つ旅行者は、イスラエルに入国する際にビザは不要(90日以内の観光)です。テルアビブのベン・グリオン国際空港から車で約1時間ほどでエルサレムに到着できます。
旧市街には4つの地区があります。ユダヤ人地区・キリスト教地区・アルメニア人地区・イスラム教地区に分かれており、嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドームといった主要な聖地はいずれも旧市街内に集中しています。
聖地を巡る観光の現状と安全面の注意点
観光自体は可能ですが、政治的緊張が高まる時期には状況が変化することがあります。日本の外務省が発表する「海外安全情報」を渡航前に必ず確認し、最新の情勢をチェックすることが不可欠です。
よくある質問
- エルサレムはイスラエルとパレスチナのどちらに属しますか?
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一言では答えられない複雑な状況にあります。イスラエルがエルサレム全体を「首都」として実効支配していますが、東エルサレムについては国際法上「占領地」とみなされており、国際社会の大多数はイスラエルの主権を完全には認めていません。パレスチナも東エルサレムを将来の独立国家の首都と主張しており、帰属問題は現在も未解決のままです。
- なぜエルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3つすべての聖地なのですか?
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それぞれの宗教が「この場所で重要な出来事があった」という歴史的・宗教的根拠を持っているためです。ユダヤ教にとっては十戒の石版を安置した神殿が建っていた地、キリスト教にとってはイエス・キリストが十字架に架けられ復活した地、イスラム教にとっては預言者ムハンマドが天に昇った地とされています。これら3つの宗教はもともと同じ神を信仰するアブラハムの宗教であるため、信仰の歴史的な舞台が重なり合っているのです。
- 現在のエルサレムに旅行することはできますか?
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日本国籍のパスポートがあれば、ビザなしでイスラエルに入国でき(90日以内)、エルサレムを訪れることは可能です。テルアビブのベン・グリオン国際空港から車で約1時間でアクセスでき、旧市街の聖墳墓教会・嘆きの壁・岩のドームなどの聖地を巡ることができます。ただし政治的緊張が高まる時期もあるため、渡航前に必ず外務省の海外安全情報を確認することをおすすめします。
まとめ
「エルサレムはどこの国か」という問いに一言で答えることは難しいですが、「イスラエルが実効支配しているが、国際社会の大多数がその主権を完全には認めていない都市」という整理が現時点での正確な理解です。百年以上前のイギリスの三枚舌外交に端を発し、3宗教の聖地が絡み合うこの問題は、簡単には解決しません。しかし、その背景を知ることでニュースの文脈がぐっとわかりやすくなるはずです。この記事がエルサレムと中東情勢を理解するためのきっかけになれば幸いです。

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